「オノオレカンバ」と聞いても、たいていの人はキョトンとして「斧折れ樺」という漢字が頭の中に浮かばないようだ。外材の一種だと思う人もいる。別名アズサミネバリ、ミネバリという人もいるが、「梓」だ。ある人がこの木は昔、朝廷に献上されるほど珍重されたと教えてくれた。 私がはじめてこの材を手にしたのは二十年ほど前のことで、何かの端材だった。いま思えば木の股の部分で、特に複雑な木目をしたものだった。しっとり重く、ナイフではなかなか削れなかったことを覚えている。この木で何かできないか、それが木工を始める私の原点となった。 作業はサンディング加工が主で、防塵マスクをつけても口の中に独特の苦味が残る。悪いにおいではないが、かすかに酸っぱいようなにおいだ。外から帰ると特に分かり、その中に入ると妙に心が落ち着くのは私が働き虫のせいだろうか。若い時は、沈木であるこの木の重さをバーベル代わりぐらいにしか考えなかったが、今ではその重さが少し手に余る時もある。たまに朴の木などを使うと、あらためて自分が頑固な奴に惚れたことを思い知る。だが仕上がりの美しさは比類がないと思っている。 先日この木の取材をしたいとTV局から電話があり、切られずにあるか不安で見に行った。三月の初めなので雪があり、冷たい風の中に無事にそれは立っていた。渓流の上の崖の半ばに黒々と見慣れた樹皮が見えた。百年余の木の樹姿は風雪に耐え、真に風格がある。私の手元にある板もどこかでこのように立っていたのかと思うと、こころが痛むこともある。 昨今は生活のために、渓流ならぬビルの谷間にこの木とともに展示会に行くことが多くなった。木のザワめきに対して人と車の騒音、清涼な風成らぬ、乾ききった暖房と別世界だ。「木はやっぱり暖かくていいわね」と言ってくれる人もいる。私自身、安らぐことのないビルの谷間で人々が何かを感じてくれるなら、この木も私もそれでいいのだろう。 何年か前に買ってくれた人が来て言った。 「祖母が最期までこのまごの手を愛用していましたので、一緒に入れてやりました」 オノオレカンバの立ち木をふと思い出した。